チェルフィッチュ「エンジョイ」雑感

エンジョイ、感覚的には演劇だった。
あと、教材ビデオを見ている感覚に陥った。


情報とイメージを散らかすことにより、都合のよいもの・ひっかかったものをとりだして自分の中で処理をしていく という感じでチェルフィッチュのこれまでの作品を見てきた。

これはじぶんに話を追うだけの執着心と忍耐がないから出てきたただの妥協の産物なのかもしれないが、楽しめた。

酒を飲みながらの芝居というのは、芝居と自分が地続きであることを確認するひとつのツールなのではないかとふと思った。

今回は飲み食いが出来ない空間での芝居だったからか知らないが、言葉やイメージの散らかし度合いが低かった気がする。だから演劇だったという印象を受けたのか。

自分が集中できたから、最後まで一応追い続けることができたからそういう感想を抱いたのかわからないが、わりとなだらかな現状露呈芝居だった気がする。
エフェクトのない芝居を作ること自体すごいことなのかもしれない。作ってないからわからない。たぶんすごい。でも、ぞわぞわはしない。

ぞわぞわしないのは、自分はこのことに関して門外漢と考えてしまい現実逃避している自分がそこにいるからかもしれず、実際直視できないほどのぞわぞわを持った芝居だったのかもしれない。

俺はぞわぞわしない。