THE CONVOY SHOW vol.26

THE CONVOY SHOW vol.26 20周年記念作品 ATOM'06 @ゆうぽうと簡易保険ホール
リスクを負わない表現に価値はない。


CONVOYは5,6年前かに北野武が絶賛していて、一回は観てみたいと思っていた。それで、これ。武が狂っていたのか時間がそうさせたのか。

表現をやる人の評価の仕方で一番哀れな評価方法は「頑張っている」である。確かにリーダーは50近いのに相当体力がある。2時間半踊ったり、演奏したり、歌ったり。ポテンシャルが高いのはわかる。しかし、その表現に対しておもしろいと思う瞬間が微塵もなくただ、頑張ってるとしか映し出されない。
2時間半頑張ってるを押し出して、それを保険としてやりたいことやってる感じがぷんぷんして腹が立つ。そもそも、人の曲を使って、踊ったり演奏したりしてそれがステージが盛り上がること自体もう中学の学祭レベルなのである。個々人にカリスマがあり、何かをやることにより観ている側が満足するだろうという浅はかな考えの下で作り出した舞台などもうクズ同然である。少しでもいいからリスクを負えよといいたい。


いや、言わない。
舞台が終了してのスタンディングオベーション。もう、勝手にやっていてほしい。8500円を払って満足して帰ってるお客さんはたくさんいるのである。需要と供給が成立してる。なら、何も言わない。ばーか。


芝居を観るときに、言葉と動きをみて感受しようと試みる。ミュージカルは言葉と動きが連動のさせかたが非日常であり、分離して見られることに特徴があると思う。コンボイで序盤のやり取りがミュージカルっぽい(そもそもこれをサンプルとしてもってきて論じるのはよくないのかもしれないけど、観たことないのでつづけます。)のをみて、まぁ非常につまらないわけです。
各所各所、動きはおもしろいのですが、やはり日本人なので言葉がわかるので動きと言葉をどちらにインフォメーションの重きを置くかと考えると言葉になってしまうのであり、腐った言葉をたて並べていれば、いくらおもしろい動きをしていてもその空間を腐らせてしまうのである。その点、海外の作品は100%セリフを理解することは出来ないので、動きと言葉のinfoの重要度は動きに傾く。そこではじめてミュージカルを楽しめる気がする。