ころがす

「1988年6月30日、あるいはバイエル」王子小劇場
を見る。

コンセプトはおもしろいけど、これを1人芝居にして提示することは、果たして観客はこれを観て楽しいのかということを考慮して作っているのかを疑問に思った。
当然、楽しんでくれるだろうと思って、劇作家は作っているとは思うんだが。

『15人を1人の女優が描写していくこと』と『1988年6月30日に何をやっていたかを思い出させる一部始終をみせる』という2つのことを同時に見せるのはちょっと難しすぎに感じた。

15人の記憶たどりを普通にドキュメントとして映像に落とし、編集することでこの作品はすごくきれいな形で終焉できる気がする。それを超えたかったのか。それを超えるために1人芝居をさせたのか。

もう少しかんがえよう。