ハイバイ

ハイバイ「リサイクルショップKOBITO」@駒場アゴラ劇場

おばさんはいきなり話はじめる。自分に関係あると思えばそれを糸口にどんどんどんどん話す。
決して自己アピールのために押し付けているというわけでなく、ただの運動として話を始める。

序盤のリサイクルショップの話では舞台上で必ず客観が一人いる。
突発的な感情でどんどん話を始めるおばさんはいつ話を始めようがいつ話をやめようが不自然ではない。いきなりオンオフが切り替わる。主観、客観、主観、客観。でも完全にオフではない。待機電力っていうか、節電タップの延長コードのような、コンセントから電源抜いてない感じ。おばさんの狂った世界を無理やり見させられた舞台上唯一の絶対客観の持ち主であろうひきこもりの娘。その娘がおばさんたちの状況に関して、とてもまともっぽく、そして長々と話す。それを聞いて観客は誰一人舞台上に常識がいないことに気づく。おばさん〜ひきこもり〜観客。主観と客観の三重構造がすごくおもしろかった。

あと、おばさんの会話が並行からねじれになっていく瞬間。
独り言が一次元であったら、会話が二次元。おばさんの会話が三次元というか「ねじれ」ですね。ねじれの関係です。数学で習ったあの直方体の並行でも垂直でもない「ねじれ」。そんなかんじです。

言葉が運動になっていて、奇妙な話だがダンス見てる感じだった。

後半は2009年からバブルを経験しているおばさんたちを引っ張るように、描いていた。立ち位置はいつも2009年な気がした。

ここから、自分の話。
どうしても自分は力がないので、過去の時代の中にすべてもぐりこんで話を進めることができない。読み取る力が確実に欠けている。だから描けない。なんか、すぐに客観に立ちたがる。集中力がない。
そんな自分でもポツドールはすごく楽しめる。自分を見てるようですごく臨場感がある。自分が腰を上げなくてもすでに舞台上に自分がいる。
そういえば、乞局の「汚い月」もそうだし、「グレープフルーツちょうだい」もそうだった。もし自分の力がもっとあれば後半にもっと大きな何かが見えるのかもしれない。