動のお金

昨日二回も金を拾いました。一回は駅の改札前で、もう一回は富士そばの自販機で。
ただ、そのお金は両方とも地面に落ちている・手を入れたら返却口に残っているいわゆる「静」のお金ではなく、誰かのポケットから落ちた・自販機から時間切れで勝手におつりが出てくる「動」のお金でした。

もちろん、駅で拾ったときは周りに誰か落としてる人はいないか、左右に顔を振って確認したのですが誰も関心を持たない。その100円は地面に置いても本人の手元にはかえらない。窓口に持っていっても交番に持っていってももう戻らない。だからといって、私のポケットに入れるのは気が引ける。
小学生時代、ゲームセンターでへたくそな格闘ゲームをやるよりもその50円を1円に両替して、ばら撒いたほうが楽しいというとんでもなく不謹慎なムーブメントがおとずれて、老若男女さまざまな人々の小銭拾いを見てハートウォーミングな気持ちになっていたのですが、平成にもそういう少年がいるんじゃないかとちょっと心配でした。やつらの餌食にはなりたくない。しかも、100円1枚というのはちょっと現代の若者の金銭感覚を疑いたくなる感じです。
まぁ、5秒後代々木〜渋谷間のキップ代にきえました。

富士そばはぼんやり渋谷の坂を上がっていたら、チャリンチャリン左耳から飛び込んできて、ふとみるとおつり口にどんどんお金が。懐かしいメダルゲームみたいな、あの不連続なリズムで出てくるおつり。自分のお金でもないのに、後どれくらい出るだろうなんてじっと眺めてしまいました。結局180円。で、どうしよう。また、左右に顔を振って確認したのですが誰も感心を持たない。まぁ、たぶん、僕は見てなかったが、先ほど富士そばの中に入った人が忘れたお金であろうと。ただ、店の中にはいっていってまでしてお金をわたすのはなんかこっぱずかしいし、違かったら困る。しかも、たぶん、このおかねがつり銭口にたまっていたら、それはもう静のお金なわけで。だったらこっそりいただいてしまうなぁなんてそんなこと考えていたら、なんで店内にわたしに行かなきゃいけないんだみたいなことまで考え始めてしまって、結局ポケットへ。

で、バイト先にいって指導して家かえって、寝て朝起きて、今の今まで、富士そばに入って渡しておけばよかったと後悔しています。こういう小銭食いで、世の中のチャンスを逃していってしまうんじゃないかなんてことを考えていたら、頭かきむしり放題です。
あぁ、この15時間の心労を180円の労働としてみなしてください。