罪な発言

「おもしろいこと言ってよ」という人がいる。無責任である。お前が言えよと思うが、そいつはおもしろいことを言うことを放棄している。会話が途絶えがちの時にこのフレーズが飛び出すのだが、とにかく無責任だ。

彼は会話が途絶えるのが耐えられない。だからさきのフレーズを発する。しかし、私はこの場に耐えられる。ここに問題が生じる。あなたが我慢をすれば、この場は収まる。しかし、我慢が出来ない。そして我慢が出来なかった矛先が僕に向けられ、挙句の果てにその気まずさを突破しろと命じるのはとんだお門違いな気がする。

とある飲み会で「つまらないこと言ってよ。」といわれたことがある。
僕は電気料金についてのお話をした。
確かにつまらない。世帯毎の契約アンペア数によって値段が変わるなどどうでもいい。
しかし、彼は楽しそうにその話を聞いていた。テンポを味わっているのか。まぁ、なんとなく電気料金を力説してるのってなんだかおもしろくもなくはない気がしてきた。
「色っぽいこと言ってよ」とか「レンタカーっぽいこと言ってよ」ならどうか?
なんとなく成立する気がする。こうかんがえていくと、「おもしろいこと言ってよ」は会話として最悪な内容であるきがしてきた。

なぜこれを選ぶのだろうか。人はなぜ最悪を選ぶのだろうか。